天国のおじいちゃんへ…

2007.11.28(Wed)




私は筋金入りのじじっ子。
父親には甘えられなかった分,祖父にはずっとベッタリだった。



だけど,
私はもう一人のおじいちゃんのことを知らない。
会ったことはあるらしい。
でも記憶の中には残念ながら,その声も手も表情も,頭をなでられた感触も抱っこをされた感覚も残っていない。




物心がついた頃からおじいちゃんは死んだと聞かされていたから,そんなものかと思っていた。



おじいちゃんは私が三歳の誕生日を迎える一週間前にこの世を去った。



まだ60歳だった。





私の記憶は三歳の頃からわりと鮮明にあるのに,それ以前は一体どこへ行ってしまったのだろう??

私のおじいちゃんのイメージは既にもう,ヒトではなかった。
護り神であり,空気であり,風であり,星だった。

しかし歳を重ねるにつれて,忙しさに心を亡くし,目先の目に見える出来事ばかりに気を取られて,そんなことを考える余裕すらなくなった。
やがておじいちゃんの存在は,私の心の中でも死んでしまった。




でも。
最近,自分の力ではどうにもならない大変な目に遭って困ることがあった。
そんなとき,ある人に言われた。



「大丈夫よ。あなたの後ろにはちゃんとおじいちゃんが護ってくれているんだから(^-^) 安心して過ごしていればいいんだよo(^-^)o」



その言葉が妙に心に引っ掛かった。





今まで記憶になかったはずの「おじいちゃん」という存在をふと思っただけで,急に心が温かくなった。




そうか,護られてるんだ,何があっても,私に愛情を注いでくれているんだ,安心して自然に身を任せて平気なんだ,となぜか自然にすっと自分の中にその言葉が入ってきた。



自分一人で考え込んでいるとグラグラしてぶっ壊れそうなことも,大丈夫なんだと妙に納得できた。



そう思うと,




むしょうに会いたくてたまらなくなった。




笑って,呼吸をして,立って,歩いて,寝て,食べて,いびきをかいて,私を呼ぶおじいちゃんに会ってみたくなった。


その姿を想像するだけで,優しくてあったかい気分になれた。


手足がしびれてきた。


胸の奥から込み上げてくるものがあった。



胸の奥もしびれてきた。


手足も,胸も,目の奥も,熱くなって,しびれてきて,何かがいっぱいになって,こぼれてきた。



そうか。これがジーンとくるという感情なんだな。




まるで私の血が騒ぎ出しているようだった。
おじいちゃんと同じ血が,活発に動いているような気がした。



胸がいっぱいになって,呼吸をするのも苦しくて,たまらなくなって,
おじいちゃん おじいちゃん おじいちゃん!!!
と心の中で叫んでみた。



何故か私が嬉しくなって,
心から幸せになって,
心から会いたくて,焦がれて,涙が止まらなくなった。




こんなこと,24年近くの人生の中で始めてだ。




おじいちゃんと私のエピソードを周りのひとから聞いた。


おじいちゃんはとにかく私のことを可愛がってくれて,私もおじいちゃんのことが大好きで,両親や両親の親達が大集結しているときも(つまり私の四人の祖父母)周りのみんなを押しのけて,亡くなったおじいちゃんのところへ駆け寄っていくほどだったという。



優しくて,物静かで,いつもニコニコと穏やかで,子供好きで,私をものすごく可愛がってくれたおじいちゃん。



誰から聞いても真面目で優しそうでいい人だったという。
私がはしゃぎ回っていると,それはそれは嬉しそうにしていたとか。



私の弟が生まれたときは既に病床で闘っていて,
生まれたばかりの弟を連れていくと

「私はちょっと熱がありますので抱っこができませんので,抱き上げてくれませんか?」


と言って,母の抱き上げた弟を本当に嬉しそうに遠くから目を細め,見つめていたというおじいちゃん。



その一ヶ月後に,おじいちゃんは死んでしまった。




私のこともこんなに嬉しそうに抱き上げてくれたおじいちゃんだもん,
弟のことも抱っこしたかっただろうなぁ。

いつか抱っこ出来る日を心待ちにしていたかな。
一度も抱けずにお別れしちゃったんだね。



その数年後に愉快なイトコたちやもう一人の私の弟も誕生して,矢田一族はそれはそれは賑やかで激しくなった。

みんな立派に育ったよー。



孫大好きなおじいちゃんだから,是非みんなに会いたかっただろう。




私もおじいちゃんにとにかくなついていて,病院にもおじいちゃんに見せるんだ!!!と赤い浴衣を着てはしゃいでいたという。



幼い私には,死ぬというのがどういうことなのか分からなかったんだろうね。



何故かうちに葬式のときの写真があったのだけれど,黒い喪服に身をつつんで泣き濡れている大人たちの間で私は不思議そうな顔で相変わらずちょこまか走り出しそうな様子で,



弟は生まれてまだ一ヶ月で,無抵抗に寝ていて,



だけどおじいちゃんが運び出されるときに父親の「おやじ!!!!!」
という叫びに私がいきなり号泣したという。




残念ながら何も覚えてないよ。
そんなに好きだったはずのおじいちゃんに,何も分からないままお別れしてしまって月日だけが過ぎた。




だけど,
どの写真をみても表情も体もガチガチにこわばって,ムッとして,

「無愛想な赤ん坊やな~~!」


と母と突っ込まずにはいられない赤ちゃん時代の私なのに,おじいちゃんに抱っこされている写真だけは,表情が緩んで,体をすっかりあずけていて,



そんな写真をみると
ああ,どれほどの愛情と安心感を,生きている限り注いでくれていたのだろう。と。




普段なにげなく見ていた写真をみて,また泣けてきた。




嗚呼。会いたいよ。
おじいちゃん。

今どこで何をしてるの??


数日前,親戚全員でおじいちゃんの23回忌に集まって,お墓参りをして,みんなでお経の大合唱をしたよ。

不揃いで無茶苦茶なお経だったし,妙にしんみりしている私とは裏腹に,相変わらずうるさすぎる矢田一族のテンションだったけど,おじいちゃんはみんなが集まって楽しそうにしている姿をみて,きっと喜んでくれていることだろう。




私は自分のことが嫌いだったし自分に自信も持てなかった。
自分の血筋にうんざりしていたし,自分の人生は呪われているとさえ思っていた。



でも,自分を嫌うということは,大好きだったおじいちゃんの血も魂も否定するということ。


おじいちゃんの血は,私たちが元気に生きて,幸せな呼吸をして,いつも生き生きとしていることでずっと生き続けるんだ!!!

おじいちゃんが喜んでくれるように,私も自分のいのちを大切にしたい。




何度自分を
この家庭を,恨んだか分からない。


呪われていると思っていた。
他人を羨んだ。


何度もおじいちゃんに悲しい想いを抱かせた。



だけどおじいちゃんは全てを見守ってくれていて,いい方向へいい方向へと私達を導いてくれていた。

あの頃は分からなかったけれど,すべてを乗り越えて今幸せだと思えることに感謝したい。




愛情たっぷりに,なんの問題もなく元気にすくすくと育った私と弟だったが,


その,おじいちゃんの亡くなる直前に生まれた弟は五歳で突然発病した。




それまでは弟と母といつも三人で父親の帰りを待っていたのに,
突然私はひとりぼっちで毎晩冷たいごはんを食べて宿題をして寝るだけの生活になった。

外を出歩くことも許されなかった。


病院に面会にいくと
入院初日は六人部屋の奥から「おねーちゃんベッドいいでしょー!!(≧∇≦)」と嬉しそうに元気よくはしゃいでいた弟が,
点滴をつけられ,車椅子でしか移動を許されず,子供の私は弟のそばによることもさせてもらえず,ただ遠巻きに
「お母さん帰らないでー!!!」と泣き叫ぶ弟をみることしかできなかった。


末の弟が生まれてからは,私と赤ん坊の弟で毎日夜遅くまで友達の家に預けられて。
他人の家でごはんを食べさせてもらった。
おかげで楽しくて,心がすさまなくて済んだけれど,このご家庭のようにみんなが明るくて元気で,全員が集まってごはんを食べられるという当たり前のことに憧れたな。

いつになったら私の家はそんな日が返ってくるのだろうと。



弟は腎臓という(当時の私には)よくわからない部分が悪いらしくて,でも見た目は元気そうだし,命に別状のない部分みたいだから,まぁいいや!頑張って治してね☆
と思ってて,


数カ月後に元気に外泊してくると,ああ治ってきてるんだと安心しきっていて,



でも命に関係のない体の部分なんてあるわけなくて,
「治らない病気なんだよ」
としばらく経ってから聞かされて,


でも弟は相変わらず元気そうだし,生活に何ら不自由はないからまぁいっかと思っていたら,


弟の病気はどんどん悪化していって,九歳の頃にはついに慢性腎不全になって最悪の状態になって,

透析生活を強いられて,食事制限とか激しくて,
病気の影響や薬の副作用で体もしんどくなっていって,見た目も明らかに可哀相な状態になっていって,


あんなに普通に明るくて元気で賢くて器用で優しくて,確かに変わり者だけど,いい部分たくさんあるのになんで弟が???
と運命を恨んで,


生きるためにそこらの生っちょろいヤツラよりも壮絶に闘っているというのに,ヤツラには差別されて,嘲笑われて,いじめられて,


私も「お前の弟ヘンだよな」と冗談でも言ってくるクラスメイトを形がなくなるぐらいボコボコにしてやりたかった……!


でも弟を全力でかばえるような強い姉にはなれなくて,一緒に笑ってしまっていた…


そんな弟にイライラもしていた。

なんで普通にしていてくれないの?
なんでお姉ちゃんと同じ物を食べたいとダダこねるの??
なんで私が怒られるの?
なんで泣くの??



一瞬でもそう思った自分を殴り殺したかった。



腎臓移植したら自由になれるから頑張れ!!
好きなもの食べられるぞ!!
好きなことできるぞ!!


それだけが何年もの間希望の星だったのに,



10年前に,いよいよ待ち望んだ,お母さんが弟にあげた腎臓は,


余計に弟の体を蝕んで,
ストレスで内臓に穴を開けて,出血多量で死にかけた。



弟がいつ死んでもおかしくないから覚悟しとけと言う祖父の前で狂ったように泣き叫んで,穏やかで母さえ殆ど怒られたことのない祖父に本気で殴られた。



結局母の腎臓はダメになってしまったし,弟は餓死寸前みたいな変わり果てた姿になってしまったし,母は立ち直れないほど落ち込んでいたし



唯一私の癒される時間は二歳のイトコと遊んでいるときだったのに,その子もその夏,知的障害があると診断された。



私の父親はその半年前にガンで入院し,
弟と父の面会と自分の腎臓のケアで忙しい母を助けるために,未亡人の祖母がうちにきたが,



家の中をぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて終わった。


家はぐちゃぐちゃだわ,孫は可愛がらないわ,まだ5~6歳の弟を放置。
お客さん気分で,やりたい放題で,気にくわないと子供の前でも泣き出して


「さとみちゃんがひどいから帰らせてもらうわ!」



そして父の怒声を浴びせられる毎日。
相当気を使っておばあちゃんの負担にならないように頑張ろうと思っていたのに,おばあちゃんは表ではニコニコして,裏では父親に私の悪口ばっかり告げ口していたんだ。


言われのないことばかり告げ口して,悲劇のヒロインぶって,父の前になると人が変わったようにせこせこと働いて,私が一方的に悪者扱いされて,



人間不信に陥るかと思った。。。。。
こんな人と一緒に何ヶ月もいるなんて,気が狂いそうだった。

こんなワケわかんない人と血が繋がっているなんて,うんざりしたよ。
自分もこんな風になるのかと,嫌気がさした。




父には
最近お前のことをかわいいと思えなくなってしまった
頼むからいい子になれって,


親に言われてごらん?笑
私なりにたくさん我慢もしてたし,学校も明るく頑張ってたし,できるだけおばあちゃんを手伝わなきゃと思っていたのに。





そのうち何度も父から尋常じゃない殴られ方をされ,馬乗りになって呼吸できないほど顔を殴られたり,

持ち上げられて,上から地面に叩きつけられるのを何度も繰り返されたり,

髪の毛を引っ張られて首が折れそうなほどだったり



キレるポイントがわからなくて,突然頭や頬にパンチと怒声がとんでくるので,もう恐怖以外の何物でもなく,



私が末の弟をお風呂に入れるだの世話していて,お湯が熱いとかで泣かせると,


「静かにさせろ!!!」


と物凄い剣幕で怒鳴り込んでくる。言い訳をしようとすると更に怒鳴られて殴られる。



だんだん無邪気にハリのいい声で泣く弟にも心底腹が立ってきて,

あんなにかわいいと思っていた弟を,思い通りに動いてくれないからと威嚇して,父のいないところで散々泣かせて,口答えしようものなら追い掛けて,怖がらせて,



一度だけあまりにも言うことをきかないものだから弟の首に包丁を突き付けたこともある。

もちろん刺すつもりなんかない。



でもあれは冗談でもやるべきではなかった。
本当に恐怖だったのだろう。
あんなに純粋無垢で可愛い弟にトラウマを植え付けさせてしまったかもしれない。
あの呼吸もできないほどの悲鳴めいた泣き声は10年経った今でも耳にこびりついている。



だんだん父親の言動にも矛盾を感じ始めた私は,やられっぱなしではいけないと反抗を始める。


父親が心底憎かった。


父親を困らせてやりたかった。それも,取り返しがつかないほどに。


私が死ぬか,犯罪者になればいいんだ。
でも犯罪者になったら私が責められるから,私が死んで周りから責められたらいいんだとさえ思った。



父親に
「お前なんか死んでしまえ!!」
と言われたときは,シメた!とさえ思った。
これで親父のおかげで自殺できる!!一生苦しめと。。。。



でもやっぱり死ぬ勇気がなくて,代わりに警察を呼んだ。





父親を殴り返したらどうなるかなと思った。
やってみると,意外と出来た。
気が狂ったみたいに暴れれば,父親もびっくりする。



そうして小さい弟が号泣する前で,殴り合いは繰り返された。


弟はまだ幼いのに精神的ショックで身体的に症状がでてしまった。



私も俗に言う家庭内暴力で,声が出なくなってしまった。
父を心底恨んだ。憎んだ。

ストレスで一気に17キロも太った。
目つきもおかしかった。
表情も強張っていた。

どうやったら死ねるかとばかり考えていた。
学校ではウサ晴らしに騒ぎまくっていたけれど,本当の自分じゃないようでギャップに苦しんでいた。

家に帰ると,
ビニール袋にマニキュアやマジックインキやリムーバーを垂らして吸い込んで死のうと横たわってみたり,首を締めてみたり,
まち針で耳に穴をあけたりしていた。



父との喧嘩の末に,真夜中に弟の病室に逃げ込んで,避難所にしたこともある。



許してはいけないと思った。
許したら私の苦しんだ意味がなくなると思ったから。
父のことは二度と許すまいと心に決めていた。


その後,
父を精神的に受け付けられなくなり,拒絶反応がでた。



じんましんが出る。
吐き気がする。
胃が痛い。



いろんなストレスで胃カメラも飲んだし,声を聞いただけで蕁麻疹に冒された。



その後約五年近く父とは絶縁状態になったまま月日が流れた。



高校時代はいろんなものの積み重ねでついに欝状態になった。
学校にも行かずに引きこもっているか,年上のおにいちゃんたちと酒を飲んで夜遊びをしているか, 暴走族の友達らとたまっていた。



でもいずれも小心者だったから,何にもなりきれなかったな。
これじゃいけないと,常に理性が働きかけていた気がする。


おかげでタバコも一瞬一秒吸っただけで断った。
マリ☆ァナなどにも絶対手を出せなかったし……。



そんな私がクラシックなんて始めちゃったから自分も周りもほんとにビックリなんだけど,


そのおかげで全てが丸く納まって,だんだん平和が戻ってきた。


そうなるまでに私の価値観や概念を変えたり,長い道のりがあったんだけれど……



でも,お墓参りの帰りに父と母と弟と,仲良く居酒屋でビールを飲んでふと思った。



こんな日がくるなんて思わなかった。
二度と私には手にすることができないと思っていた,家族団欒,平和,あたたかさ。


幸せだ。
幸せなんだ。



あの頃はみんな辛くて心に余裕がなくて,つい他人に当たってしまっただけなんだ。
本人はやりすぎたかなと少し反省したとしても,やられた方がそれをいつまでも心に掴んでいて,
ダメだ,
許してはいけないんだ


と,その思いが自分を余計に辛く醜く苦しくしていたんだ




あの祖母と父の血が流れているということに嫌悪感を覚えていた10年前とは違って




今は自分でよかった。
いつも何があっても私たちが悪くならないように,いい方へ導いてくれた祖父の血が流れている!!


可愛くてたまらない弟たちにであえた。


父のいいところも,たくさん見つけた。


普通に過ごしていたら気付かなかったことにたくさんであえた。


父も母もたまにカチンとくるけれど今では大好きだ。


当たり前のことが幸せに思える。


喜びは苦しみを通り越してこそ本当にわかるものだ!!



おじいちゃん,
こんな自分に出会わせてくれて,そんな人生の冒険をさせてくれて,ほんとのほんとにありがとう!!!



宝探しの結果,私は自分という何物にもかえがたい,素晴らしい宝を手にいれました!!




去年までトラウマを引きずったり,ネクラな自分を隠し持っていたけれど,今は完全に拭い去りました。むしろ過去の経験は宝であり自信です!!




もう前をむいて歩くから,いつでもおじいちゃんのことを呼ぶから,これからも変わらずにそばにいてね☆☆☆





1985年11月26日没



大好きなおじいちゃんへ☆☆☆☆☆









P.S.ここまで読んで下さってありがとう。
あまりのドン引き加減に友達が一気に減りそうですが,これがほんとのあたしです。
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