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※奇跡※

2008.05.19(Mon)





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生命と真剣に向き合った時にみつかるものがある…

辿り着きたくてずっと探していた
どこなのかもわからず…どこにあるのかも知らずに…
ただ いつか辿り着けると信じていた

ファインダーを覗いて意識を集中していると
自分が消えてしまいそうで怖くなる
でも その怖さを超えた先に
とてつもなく大きな存在に
やさしく抱きしめられているような
絶対的な安心があることを知っている…

複雑に絡み合った思い込みをひとつずつ
シンプルにしていく作業を焦らずにする

瞬間と永遠を同時に生きること
それは「いまを生きること」

人には いろんな環境があって
それぞれ悩ましい内容は違う
そして 悩ましい振り幅も違う
でも同じなのは 幸せに向かっているということ

思い通りにならなかった時は さみしくなる
そんな時は 目を閉じて呼吸に意識を向ける 
さみしいのは幻だと気づく…

「まだ死にたくない!この地球でしたいことがある!!」
わたしは神様に宣言した

生きていること…そのことが奇跡
死んでいくこと…それも奇跡

Yes…
目の前で起こるすべてをありのままを受け入れて感謝する 
抵抗すると苦しくなることはよくわかった

傷ついた犠牲者の自分をいつまでも大切にしないで
少しずつでいいから 手放していこうと思う
本当は傷ついているわけでも
傷つけられたわけでもないから…

光の向こうに何があってもわたしは向かう
さみしさも苦しみもすべて必要ないと決めて…

「癒す」ということは 最終的に
「ゆるす」ということなのかもしれない…






(BY 中山万里 写真展『空地への感謝28+1』 )
http://marinakayama39.com/
↑HP


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写真家,中山万里さんの写真展でのお言葉。
まるで歌詞のような素敵なセリフたち。



なんて素晴らしい考え方なんだろう。


彼女の写真もまた素晴らしい。
まさにこの言葉をそのままレンズに通して映し出したような作品ばかり。



常識を覆す未知の可能性。
この世の神秘。美。



引き込まれる。




それが私達の住んでいる世界なんだよと教えてくれるような写真たち。




人はこんなにたくさんのものを空から与えられているんだよ。

それに気付けたとき,人生はより七色に光り輝くことができるんだよ。
不可能を可能にできるんだよ。


とでもいいたげな,写真たち。



私もこう言える人間でありたい。
胸を張って,どんな状況に置かれても,私もこういうセリフを言うために,今の人生をまっとうし,生きたいと願う。




現実の私は,まだまだ青くてあまっちょろくて,目の前に起こる出来事にいちいち一喜一憂し,自分の感情に振り回される。

神経質だわ不安症だわ心配症だわすぐ凹むわ簡単に文句は垂れるわキレるわ,むかつくわ,退屈にもなるわ,泣くわ悔しいわ,欲深いわ,なにかにつけて欲求不満だわ……………(笑)
and so on...




(こんな私でも,今年に入ってからはほんの少しずつ意識の変革が起きてきている気がするけれど……。)



でも,私がそんな情けない自分のままで許されてきているのは,きっと恵まれすぎている証拠なんだよね。



たくさん充分すぎるほど,色んなものを与えられて,恵まれて,幸せである証拠なんだ。


当たり前のなんでもないと思える日常が,ほんとは素晴らしい奇跡であるということ。




私たちはみ-んな幸せ者。

でも,今すでにたくさんのもので満たされていることに気付けずに,現状に抵抗したり,無駄な時間をダラダラと過ごしている者は,やはり不幸者と言うべきかもしれないし………。
うう~~ん。



ある人が言っていた。
時間を無駄にすることは 人生を無駄にするということ。
生命を無駄にするということ。


そうかもしれないなぁと思う今日この頃。




なんか,へんな話になってきた(笑)
別に,暑苦しいなんちゃってロックスターやらフォークシンガーみたいに熱い生き様を投げ掛けるつもりもなければ,人生とはなんぞやと仙人めいた結論づけをしたげな日記にする予定も甚だありませんが……。




ただね,
最近すごく思うことなの。



私たちはすごく貴重な時間と恵みを与えられている。

だけど,当たり前の日常の中でそれを実感することは難しい。
せわしく生き急いでいる人間にも,のんべんだらりとしているひとにも,時間は平等に過ぎ去ってゆくもんだと思っていたからさ。
それも,勝手にね。



でも,違うのね。


人によって,流れている時間の尺度が違うということ。
流れていく時間の価値が違うということ。





尺度が長い短いに関わらず,
その価値の高さ,重さに気付いた者が本当に幸せな生き方をしたと言えるんじゃないかと思ったわけ。





中山万里さんは,乳がんで今年の一月に亡くなった。


まだ三十代の,早過ぎる死だった。



その闘病中の言葉がこれなのだから,なんてスゴイ人なのだと思ったわけである。




私は,果たして言えるだろうか。
死を宣告されたとき。
彼女のような言葉を。
悲観的にならずに,明日が来るという奇跡を喜べるだろうか。




人は必ずいつかは死ぬ。


自分には関係ないことだけど。いつか,遠い未来に,自分が老けきって,人生を悟って,生きることにも飽きてきたときに経験することだけれど。

そんな風に思っていたけれど,
死は実は身近に当たり前のように存在するものだと最近思った。
むしろ,死という大きな土台がこの社会の足場を組んでいる。
そのうえに生というものは成り立たされていると言っても過言ではない。


それは受け入れるしかない。
遅かれ早かれ,私たちはみんな逝く。



ただ,死を迎える今際のその瞬間にも,生きる喜びと感謝で笑っていられる自分でいたい。


よく死ぬために生きるなんてセリフがあるけれど,今ならわかるなー。
死ぬための予行練習を積み重ねている。
それが生きる意味。
結局自分との闘いじゃん。
かっこいい自分でいて,素敵なメッセージを残せる自分でありたいな。
そのために「今を生きる」しちゃいたいな☆☆



mixi読んでたら何人もマイミクさんが日記に書いていたので,私も迷いましたが正直に書きます。


これが私にできることだと思ったので。





実は,
先週,大学の直属の後輩でマイミクの子が,亡くなりました。




mixiでもプライベートでも仲良くしてた男の子。
仲良くなり始めた頃なんて超長文メル友だったし!!(笑)


家が近かったので,大学の追いコンや新歓などの帰り道はいつも爆笑トークを繰り広げながら一緒に帰るのが恒例だった。

去年の追いコンでは,
一緒にカラオケをデュエットしたらしい。(あたしの日記から。)

舞台も一緒に立った。
ご飯も食べにいった。
お好み焼き,作ってくれた。

今度ダブルデートしようぜみたいな話も浮上したまま。



思い出は,尽きません。
いなくなってから,記憶が輝きを帯びて蘇ってくるわけね。
そして当たり前のように増えていったそんな風景の断片たちが,もう二度と,これ以上増えることがないという事実。


信じがたいけれど,受け入れるしかない。




まさか,亡くなるとは。



亡くなるはずなんかないと思っていた。
いや,そんなこと思ったことすらなかった。




後悔ばかりが残る。





亡くなると分かっていれば,あのときああしていたのに……。

亡くなるなんて思わなかったからあのときああしなかったのに………。


彼がいなくなった今,無意味な言い訳しか残らない。





なんで気付けなかったんだろう。



彼が,今までどれだけ過酷な試練にも立ち向かって,私たちの誰よりも生きようともがいていたか。

どれだけ痛い思いをして,
辛くて苦しくてきつくて悲しい思いをして,生きることを願って,毎日を貴重に生きて……



そんな苦しさを自らネタに笑い飛ばして私たちに明るさと笑顔を振り撒いていたか。



彼があまりにも明るかったから,たいして彼の本当の気持ちを汲み取ろうという作業や努力をしてこなかった。


でも今,彼のブログやmixiの日記を読むたびに,ため息が出る。


こんなに生きるために必死に自分と闘っていたのに。
こんなに想いが綴られていたのに。
なにを今まで軽い気持ちで傍観していたのだろう。


まぁ,彼に代わることなんて出来ないから,何を言っても虚しく響くんだけどね。
でも,もっと私にもできることがあったのに。
何もしてこなかった自分の思いやりのなさに呆れ返った。



お見舞い行きたい!
そのうち行くね!!


ずっと言ってて結局一回も行かなかった。
口だけで終わってしまった。



友達とも,つい先日まで一緒にお見舞い行こうよ。って話してた。
この前友達がお見舞いに行ったとき,私の話になって,仲良しなんですよーって言ってくれていたらしい。


彼の彼女サンにも,あいつ喜ぶと思うんでお見舞い行ってあげて下さいと言われた。


行かなきゃ!行きたいと思いながら………先延ばしでいた。
今忙しいから落ち着いたら行こうって。
あんなことしてる時間があったら,いくらでも行けたじゃない!!



私は時間も他人の命もぞんざいに扱っている。
あらためて思い知らされた。



彼に話したいネタがあった。
ひとつは手をたたいて彼が爆笑しそうなネタ。
もひとつは,共感してくれそうなネタ。
彼の知人とたまたま偶然知り合いになったから,それも言わなきゃ!!そのうち!!

と思って,またしても先延ばしにしていた。
今はそのネタを話す相手もいなくなり,おしゃべりな私はそのネタの処理の仕方に困っている。



毎年私の誕生日にはおめでとうメールを必ずくれた。
それもかなりハイテンションでポップなノリで。



連絡が途絶えていた時期なのに1番乗りでHAPPY BIRTHDAYメールが送られてきたりしてたので,


うわあ!!!!すげー!!!なんで覚えてるの?このひと!!!!



と,毎回感激,感動した。
この前のあたしのバースデーも,病室からメールをくれた。



本人にその感動を伝えると,自分が入院して辛かったときに,一人で病室で誕生日を迎え,誰からもメッセージが来なかったときにマジ切なくて泣けたから送るようにしてるんだと言っていた。



なのに……


私は彼の誕生日を毎回すっかり忘れていた。



二ヶ月前の誕生日も,mixiで彼が自分のバースデーを自己申告していたのをみてやっと気付いた。


ぎゃ-----!!!!
またやっちゃった!!!!!!(T_T)
マジごめーん!!!
あとでコメントしとこー!!!!



そう思いながら,日数だけが過ぎてしまい…結局今に至る。




実は,前回の日記の「神の慮り」という詩も,彼にみせようと思ってメモしていたものである。


彼の最後になった日記…
そこにとても素晴らしい詩が載せられていた。
それに感銘を受けた私は,コメント欄に「こんなんあるよ」と彼に向けて載せる予定だった。



しかしそれも結局せぬまま,日付だけが過ぎ去り,今に至り………。



結局そんなことばかりを繰り返して,相手を大事にできず,そんなことばかりを私はしていくんだろうか……。





今年の年明け。
彼は体調がきついと苦しんでいた。
珍しく弱音をはいていた。



いろいろあって,苦難を乗り越え,すっかり晴れやかな気分になっていた年明けの私は,彼を励まそうとメールを送った。


そのときの私は,
すっかり病気なんかナイ!
病気は幻!!!
病は気から!!!彼は必ずよくなる!!!
だから愚痴らず前向きにならなきゃ!!!
なんてテンションだった。



嗚呼……ばかだなあたし。
なんであんなに十分頑張っていた彼に,更にうざい前向きさを押し付けるようなメールをしたんだろう。


もっと他のやり方があったはずだ。

私なんか,行動が伴っていないくせに。
ひとごとみたいに,簡単に価値観おしつけて馬鹿みたい。
上から目線みたいにそんなこと言う前に,なにも言わずに彼のために真剣に祈ればよかった。
そんなことすらしなかったくせに。私はやっぱり口ばっかりで。
やり方を変えれば何かが変わったかもしれないのに…。



葬儀の日は仕事があったので,お通夜だけ参加して彼とお別れしようと思って,しっかり顔を見納めしてきた。


けれど,今まで何もしてこなかった自分が最後にできる最低限のことをしたかったのと,お通夜で遺体と御対面をしても全くピンとこなかった自分に別れを自覚させるために,彼と自分両方のために,仕事を抜け出させてもらって告別式にも参列してきた。


そこまで自分の体に事実を叩き込もうとしたのに,未だに受け止められずにいる自分もいるけれど……。


告別式でも死んだことは相変わらず実感が沸かないのに,ごめんねの言葉で体中が押し潰されそうになり,泣けて仕方なかった。



こんな私のままじゃ
きっとこれから何度も後悔の念に苛まれてしまう。
これではいけないとおもわされた。







彼は歌が大好きで,
たくさん練習していた。
大学のレッスンの時間が私のすぐ後で,彼は早めに来て私の歌を聴き,
私も彼の歌を聴いてから帰る。


そんなことを繰り返していた。
よく歌の相談をされたし,よく語った。


でも彼は,命懸けで歌の練習をしたりオペラの舞台に立っていたのに……
私は時間と労力を持て余していた。



私の生き方は不真面目でふざけている。
彼の目にそう映るのは当然だろう。
恥ずかしい。
自分の未知の可能性に全力で立ち向かうどころか,へんな言い訳ばかりで自分の周りを固めて,現実から逃げようとばかりしていた。


彼は死を乗り越え,ものすごいパワーと精神力で自分を高めようとしていたのに,私は体当たりして傷つくのを恐れて,全力を注がずにここまできてしまった。



どちらが不幸者だろう。
そんなの,誰にもわからない。


私は,彼にお疲れ様,よく頑張ったねとは言いたいけれど,かわいそうとはいいたくない。
多分本人も1番嫌がるだろう。


やりたいこといっぱいあったのにかわいそうとか,
お通夜のときに彼のお母さんも,やりたいこと全部神様からダメって言われて,取り上げられて…とお話されていてせつなさで胸の奥が押し潰されそうになったが,




彼はもしかしたら誰よりも
生命の尊さを,パワフルさを,
日常の喜びを,
家族のありがたさを,
歌の素晴らしさを,


知っていたかもしれないもんね!



死が悲しくて終わりだなんて誰が決めたの??


もしかしたら1番安らかで至福で自由で,頑張って闘い抜いたひとに与えられる勲章なのかもしれないよ???



だから,生前の苦しみとは打って変わって,穏やかで晴れやかな表情なのかもしれない。



毎日をぼーっと無駄に生きてる人にはわからない世界。

一般にのんびりと70~80年かけて人間が学び経験することを,彼は23年という短い時間にぎゅっと凝縮させて生き抜いたんだね。



まるで疾風怒涛のような,嵐のような生き様。
彼らしいね。



彼のこの世での使命は果たした。
だから晴れやかな面持ちで旅立ったんだ。
そう信じてる。


だから辛気臭い顔で,かわいそうと俯くのをやめる。
寂しいのは変わりないけれど,彼を尊敬し,彼を忘れずに生き,彼に恥じないように生きよう。

彼の生き方を目標にして,ライバル視して生きる!!!


せんぱーい!そんなしょぼいことで悩んでるんですか~?(笑) マジ相変わらずですねー



空からそんな声が聞こえてきそうだもん。




彼は最後の日記で,
自分がご飯が食べられないにも関わらず,あんなに苦しんでいたにも関わらず,なぜか最後の日記には,


自分は恵まれている



と書いていた。
世界平和を訴えていた。
自分が今できることをしようと書き残していた……。




すげーな。
あんた,かっこよすぎだよ。ずるいぜ。



そんなことを書いてるから,元気になって余裕がでてきたんだなと安心していたから…

まさかこんな展開になるなんてと本気でビックリしたけど。




あなたみたいな生き方をしたいと思った。
彼が生きた意味は,本当にでかいよ。




ふと,
中山万里さんの冒頭の言葉を思い出す。




“生きていること…そのことが奇跡
死んでいくこと…それも奇跡”


“光の向こうに何があってもわたしは向かう
さみしさも苦しみもすべて必要ないと決めて…”




死ぬことも奇跡。


そんなこと考えたことなかった。
だけど大切な友人が亡くなって,不思議とそんな感覚に陥った。


生きてるから価値があるというわけではなく
生きていることだけが素晴らしいわけではなく,
生きていることだけがありがたいわけではなく,


生も死も含めて,自然の現象すべてが恵みであり,尊い命だということ。
死がもたらす恵みだって多大にある。


だから生きている自分や周りのひと,死の床についたひとのことを大切にしよう。
もっと。もっと。もっと。もっと。



たとえ姿カタチがなくなってもそのひとの魂や想いは生き続けるってリリーフランキーもゆってたしね☆



“魂=言霊”
でもありますし。
魂の成長の果てが,無になって朽ちるわけないじゃない。
そうなったら,今の生きている行為さえ無意味で生産性のない行いになってしまうし。
死はきっと,脱皮と更なる飛躍を意味するんだわ!!


ありのままを受け入れて,すべてを大切にしなくちゃ。
今を生きよう。
死にきるように,必死こいて生きよう。
(必ず死ぬと書いて,必死,なのね)





長くなりすぎた。
でも,想いは彼にまで届いているよね。


この日記を,片岡くんに捧げようと思います。
いつもずっと,ありがとう。
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