ヤシの実

2008.03.13(Thu)




私達は外国の歌のみならず,大学で日本の歌曲も勉強します。
日本の歌は,外国歌曲で感じるのとはまた違った味わいがあって大好きです★(≧∇≦)


その中でも特に好きな曲がこれ★
皆さんご存知ですか??


http://jp.youtube.com/watch?v=ptn5EpEzAm4&feature=related


島崎藤村作詞による
『椰子の実』。




遥か彼方の岸を離れて
海に流されてきたヤシの実に,孤独な自分を重ね合わせ,故郷を偲ぶ歌。




日本人ならではの
控え目な郷愁感や叙情感を含んだ,じわじわと心に浸みる曲です★
男性がゆったり歌う方がなお素敵なんだけどね。。。





でも最近,
この曲をただ単に「好きだなぁ゜+.(o´∀`o)゜+.゜」とか,
「いい曲だなぁ★」だけでは歌えなくなりそうな気がしています。。。
私の中で,今後は歌いながら大きな痛みを伴いそうな…
そして心にいいようもない重さがのしかかりそうな……
だけど目をそらさずに,大切に,心をこめて歌っていきたい,と思ったのでした。。。



そんなエピソードをご紹介します。
できれば,私の稚拙な文章でありながら,多くの方に読んでいただきたい,伝わるといいなと切に願っています。




☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。


まず,その話を語る前に。



平成20年3月9日。
サンキューの日。


高校生の弟の17歳の誕生日でした゜+.(o´∀`o)゜+.゜



17年前のこの日のことはかなり鮮明に記憶をしていて,
当時7歳だった私は,二歳下の弟と友人宅にあずけられて,お泊りをしていました。



みんなで『まんが日本昔話』を見ていて,ちょうどエンディングに差し掛かった頃に電話が鳴り…。

「聖美ちゃんとケンちゃん!生まれたって!!」



わぁああああ(≧∇≦)!!
超大喜び!!!!!




当時は
♪いいないいな~♪に~んげ~んっていいな~♪
じゃなくて

♪歳の数だけ手をたたこーう♪おっめでとぉ~~♪み~んな~で手~を~た~たこ~~♪♪


っていうエンディングテーマだったから,みんなで手ぇ叩いておめでとう~♪って歌ってたとこなの!!(≧∇≦)
マジすげぇ偶然!!!(笑)



嬉しくて嬉しくて弟とマジ大はしゃぎした!
夜になってからも早く赤ちゃんに会いたくて,友人の兄妹たちはとっくに熟睡してんのに,
あたしと弟はソワソワして夜更け0時を回ってもなかなか寝付けなかった。


写真

写真




あたしにとって
3月9日はそんな幸せな日。
多分一生忘れない記憶。





次に印象的な3月9日は
(てゆーかそれ以外の日はほとんど覚えてないw)



弟の一歳の誕生日!!!


写真



あたしはもうすぐ小学三年になろうとしてたとこだったかな!

夜遅くに父親が会社から帰宅して,バースデープレゼントに弟の大好きな電車のビデオを買って帰ってきた。



夜な夜なビデオを再生すると,弟は大興奮!!!
テレビ画面を指さしながら大声で



「でんちゃーーーーー!!!!!!!でんちゃーーーーー!!!でーーんでーーーーん!!!!」


と叫んでいた!!(≧∇≦)
もうそれがずっと何十分もとめどなく繰り返されて,
あまりにも面白いからしっかりとホームビデオにも残されていて,
今観ても爆笑モノである(≧∇≦)



げらげら笑いこけている父母や上の弟の笑い声を突き破って,赤ん坊がオッサンのようなぶっとい声でエキサイティング!!



隣の部屋にいた当時の私の耳にもしっかりつきぬけて聞こえていた。
まだ幼い弟が全身を震わせて喜び叫ぶ声。
かわいかった。
今すぐにでもからかいに行きたかった。
そしたら家族に混じって私も笑いこけていただろう。

父も母も弟も
「お姉ちゃんも早くおいで!!!ゆうちゃんが面白いよ(≧∇≦)」
と呼んでいる。



だけど私はその場所へ行けなかった。
体が動こうとしなかった。

私は隣の部屋で,張り付いたようにテレビをみていた。



『うしろの正面だあれ』




私はこの実話に基づくアニメに見入っていた。
当時からすると50年近く前に実際に起こった出来事。


ちょうど,
お母ちゃんが東京大空襲の戦火の中を,うちの弟ぐらいの男の子をかばって地面に突っ伏して,亡くなってゆくシーンだった。



家族の殆どが死んだ。
焼け野原の中で幸せだった頃の家庭を思う主人公の女の子。。。



ショックで言葉も出ませんでした。




遠くでは相変わらず
「でんちゃーーー!!!」
という雄叫びと家族の笑い声が聞こえた。



歳をとるということは
当たり前のことではなく,
奇跡に近いことなのかもしれない。
隣の部屋にはこれからを生きるみずみずしい生命があるが,
この日に一夜にして大量に奪われた尊い命があることをこのとき初めて知った。

写真




弟は東京大空襲で亡くなった方の生まれ変わりかもしれないなと,ふと幼心に感じた。



その日の夜は映画の衝撃的な悲しみになかなか寝付けなかった。



3月9日は私にとって寝付けない日らしい。




それから私は小学校の図書室でしょっちゅう戦争の本を借りた。



海老名香葉子さんの
『うしろの正面だあれ』の原作も読んだし
『東京大空襲物語』や
『がらすのうさぎ』など。


ヒロシマ,ナガサキの本や漫画も読んだらショッキングな絵がでてきて,眠れない夜が続いた。
ほんとに恐怖だった。


もし今戦争が起こったらどうしようとそんなことばかり考えて不安を抱いていた。
目を閉じるのも恐ろしくて,暗闇の中で目が冴えていた。
ようやく眠れたと思ったら戦争の夢をみた。
あたしの目の下のクマが慢性化してるのはこのせい。


そんな怖い想いをしながらも,
お昼休みに図書室で本を読まずにはいられなかった。
祖父母からもしょっちゅう戦争の話を聞いたなぁ。。。。
国語の授業でも
『ちいちゃんのかげおくり』
『一輪の花』など
衝撃的で何度も読み返した。



そんなわけで,
3月9日は弟の誕生日を祝うと共に,毎年ひそかに私の中で東京大空襲を偲ぶ日となった。
(正確には空襲は3月10日0時7分から2時半までの2時間あまり…だけど)


でも,
それも歳をとるにつれてだんだん忘れていったけどね……。




そして
平成20年3月10日の夜。


昭和20年3月10日の夜のことが特番で放映されていた。


仕事から疲れて帰ってきて,
テレビなんて別にどーにも興味がなかった。
でも,母がテレビ画面に熱中していて,どーでもいい話を持ちかけると「ぅるさいっ(怒)いいからテレビ見とけ!!」
とキレられたので,
仕方なく見ることにした。



すると,
この番組はかなり詳しくリアル!!!
これは是が非でも祖父母に見ろと電話しなければ!!!!
という衝動に駆られた。




まぁ祖父母なら観てるでしょ,という母に,
それでも念のため!!と電話をかけたら,他局のテレビタックルを見ているとのこと( ̄▽ ̄;)
もちろん現代社会の政治も大切だが,今夜は戦争の番組で気持ちを共有してよ~~~とのことで,チャンネルをかえさせた。




いやぁ……
東京大空襲の文献はよく読んでいたので知ってはいたが……
あんなにリアルに再現されると,言葉がない…。


まさに地獄絵図そのものだった。


東京の下町を火の海が埋め尽くし,炎に囲まれ,人々は生きたまま焼かれ,まるこげになっていく……




衝撃的だったのは
火に辺りを囲まれ,火の粉が降り注ぎ,逃げ場をなくした大量の人々が,橋のうえでぎゅーぎゅー詰めになり,身動きがとれず……


体に火がついた人達が隅田川へ次々と飛び込んでいく。



そして
何百人もの老若男女が八方塞がりで一歩も動くことができない橋の上を,
強い風に煽られて隅田川に上がった巨大な炎が一瞬で焼き尽くす……!!




わーとかぎゃーとかじゃない,聞いたこともない狂人めいた獣のような絶叫が炎の中で聞こえた。今も耳にその声がこびりついて,片時も離れないと目撃者のおじいさんは現在の橋を見ながら語っていた。



言問橋は長い間,人々が焼け死んだ跡がこびりついていたという。




他にも
国民学校の体育館に避難した人々がぎゅーぎゅー詰めになり,そこに火が襲い掛かって全員が蒸し焼き状態にされて,翌朝は扉が変型して開かないぐらいだったり,



まるこげになって折り重なった大量の死体のうえを戦火から逃れるためによじのぼったり


国民学校のプールには何百人のひとが積み重なって,まるで狂人のように髪を振り乱して絶叫していたり


どれもこれもが悲惨すぎていた………





目をつぶりたくなるような画像もたくさん出てきたが,戦争を知らない世代の我々はちゃんと事実を受け止めなければいけないと,しっかりと見た。


炭のようになっている人々が丸太のように積み重なっていた。

それぞれこの人たちにも感情があって人生があって……尊い命があったというのに…。なんてムゴイ一夜だったのだろう…。




こんな動画を見て下さい↓

http://www.youtube.com/watch?v=5yJLhZescY8



この資料も必ず目を通していただきたい↓
辛い事実ばかりですが……
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html





テレビを見終わり,
祖父に電話をしてみると

「いや~よくもまぁあんなリアルに再現したなぁ…。あの通りやわ!」



と言っていた。


当時祖父は17歳で,軍人になるために東京と埼玉の境目にある陸軍士官学校で訓練をしていた。


直接この空襲に遭ったわけではないが,この夜のことは今でもハッキリと鮮明に思い出せるという。
気温,風の感触。あのときの切迫感,感情。




おい!!下町の空が赤く燃えてるぞ!!!
と騒ぎ立てられ,慌てて外に出てみると,不気味なぐらい真っ赤な空をしていた…。


とにかく風の強い日で,
あんなに風が強けりゃ一発で火が回るわ。。。
と祖父は言っていた。


真夜中なのにとにかく昼間みたいに明るくて,
あの空の下では字も読めたらしい。。。



普段は敵のB29も空高くにいるから目には見えないのに,その日は何百機もの飛行機がものすごく低く飛んでいて,それはもう敵の飛行機がめちゃくちゃ見えたらしい。
それも,大量に焼夷弾を落としていく光景が。
まるで巨大な扇風機を回しているかのように,びゅーーんという音をたてて焼夷弾が投下されていく。
日本軍の飛行機が抵抗しているのもよく見えたらしいが、
高く飛びすぎたのかなにかで?まったく届かなかったとか。。。。



これはただごとじゃないなと思ったという。




翌日,
軍隊の学校にいたくせに
なぜかノンキに床屋へ行った祖父。(なぜ??)
そこで,軍内では情報がまったく入ってこなかったが,散髪屋さんから
「昨夜は東京の下町がずいぶんやられたらしいですよ」
と話を聞いた。
その帰り道,やけどで焼けただれた人々やススで顔を真っ黒にした人々が空襲から逃れてゾロゾロと歩いていたのを見たという。




彼らは何を見てきたのだろう??
私の大好きな祖父は何を思ってこの時代を生き抜いてきたのだろう?



昭和20年 祖父17歳
平成20年 弟17歳
あたし24歳




改めて,時代は変わったんだなぁと思う。
でも変わることと忘れること,知らないことは違う。


私たちは知らなければならない。
私たちの当たり前の生活が,当たり前じゃなかった頃のことを。



生きたくて,
守りたくて,
救いたくて,
愛したくてたまらなかったのに,それも叶わずに犠牲になった人々のうえに,私たちの命が今生かされているんだということを。



生きるということは素晴らしくて,奇跡的で,
決して当然のことではないんだということ。



私たちは感謝しなくてはならない。
自分の尊い命に。
平和であることに。
周りの人々に。
戦の時代を生き抜いて私達の命に繋げて下さったご先祖さまに。





その特番でのエピソードのひとつ。




東京大空襲に見舞われた翌日かなにかに,国民学校の卒業式があった。


そのため,疎開をしていてバラバラになっていた児童たちが一気に帰ってきたんだとさ。




兄弟たちもみんな各地に疎開をしていてバラバラにされたんだけれど,卒業式だから〇〇ちゃんが東京に戻ってくるからと,3月9日に一家が久々に集合した。


妹たちは大はしゃぎで,その晩は一緒に歌を歌ったりして,つかの間の幸せなひとときを過ごした。



そのとき歌ったのが
『椰子の実』なんだってさ。





☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。
http://park1.wakwak.com/~hirobo/syoka/AutoSyoka/yasi.html




名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実ひとつ
故郷の岸を離れて
汝はそも 波に幾月


旧(もと)の樹は
生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
ひとり身の 浮寝の旅ぞ


実をとりて 胸にあつれば
新たなり 流離の憂い
海の日の 沈むを見れば
たぎり落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか
国に帰らん




☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。☆*。・♪*。・☆*。・♪*。



その日はラジオでこの曲が流れていて,これを聴きながら一緒に歌っていたというのだ。


きっと犠牲になったたくさんの人々がこの曲を口ずさんだのだろう…。




改めて,
歌を歌うことが出来るとは
なんて幸せなことなのだろうと思った。
好きなものは好き
嫌いなものは嫌いと言える時代はなんて平和なのだろうと思った。
選べる贅沢さ。
表現の自由。
西洋芸術をまなべる喜び。
誰かと声を合わせて歌っても誰にも邪魔をされない。
歌うことで楽しい気分になれること。




それと同時に,


歌うということの本髄は
歴史を知ること
学ぶこと
生きること
考えること


だと改めて感じた。




『椰子の実』ひとつにしたって,
私のこの曲にたいする思い入れは,薄っぺらい。


島崎藤村のこの詩に,
軍に借り出された人々は異郷の地で想いを馳せたであろうし,

学童疎開で家族とばらばらにされた子供たちも,
この詩が骨にまで滲みたにちがいない。




もう一度歌いたくても
二度と歌えなかった人もいただろう。

『椰子の実』を家族で歌える喜びをつかの間でも実感した人々もいるだろう。




私は,一個人のちっぽけで薄っぺらい感情をこのまま歌に乗せ続けるだけで果たしてよいのだろうか??

もっと大いなる普遍的なテーマはないのか??

私にできることは一体なんなのだろうか??


とにかく何かを表現したい。
何かを訴えたい。
だけど何かとはなんなのだろう??




私には何ができるのだろう?


何をすべきか。


なぜ歌いたいのか。




答えの方向性はみえているのに,具体性はまだ掴めない。


ただ,個人的なしょーもない仕事の昇進とか金稼ぎとか歌の進歩とか,
利己主義的な喜びじゃなくてもっと大きなことに目を向けたいのだ。



表現とは……
歌うことだけじゃなく
文章にしかり
生き様にしかり

とにかく何かや誰かのため何かを表現したいのです
結局自分自身のためかもしれないけどね。




あたしは
東京大空襲の惨劇を美化したり芸術化したり,
お涙ちょうだい風に仕立てあげようなんて全く思わないし,
こんなチンケな文章を感動的に仕上げようなんて全く思ってない。
もし頭の中か心のどこかで思っているのなら土下座して謝りたいぐらい!!


だけどいろいろと考えていたら,
この曲がふと思い浮かんだ。


http://www.youtube.com/watch?v=3nY4NtrKhLE
中島みゆき 『糸』



曲がいい曲すぎてキレイゴトにまとめたみたいに思われるとつらいとこだが……(*_*)




あたしはもちろん戦争反対で戦争なんかこの世からなくなっちまえばいいと思うが,
諸手を挙げてがむしゃらに「戦争反対!!」というには,外交政治の複雑さに対して知識が備わってしまっているし,

かといって世界情勢や外交政治をすべて把握しているかというと,まったく理解が足りない…



だから気安く意見を述べられるほど頭が悪くも,
また逆に頭がよくもないため,政治的視点から戦争を語って意見を言うことはできない。
(単に揚げ足取りの野党のオバチャンみたいになりたくないだけ)



あの戦争はどっちの国が悪かったとか,
誰が戦犯だとか,
だれがどこでどれだけヤラレたかとか,
特攻隊は無駄だったとか



そんなことは決めたくもないし考えたくもない。
むしろまた争いのタネを作るキッカケになるだけだ。



ただ,こんな私でもわかるのは,
戦争を今後二度としてはいけないということ。
戦からは喜びなんて得られないということ。

戦争も平和も
他でもない,人の『こころ』が作り出しているということだ。


そこに全てのひとが気付いたとき,武力以外の解決の仕方が生まれるのになぁと思う。






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